お侍様 小劇場

    “随分な遠回り” (お侍 番外編 82)
 


 庭先の澄んだ空気の中、ステンレスのポールが陽にするりと舐められて、目映いばかりの光を撒き散らす。時折 パンパンという強い音立て、タオルをはたいては、次々に竿へと干し出してゆく手際の、何とも小気味のいいことか。すらりとした足元へ置いた、手提げ型の籠には、昨日の雨でいじれなかった分も加わっての、2日分の洗濯物が収まっていて。それを見下ろしちゃあ、腕伸ばし、ちょいちょいとバスタオルやタオルの類を選り分け、広げての形を整えては、順々に並べて干してゆく。シャツやらトレーナーやらは先に干し終えていたし、靴下や下着の類は最後なのだろう。

 “……。”

 そんな手順だというのを追うように、作業の一通りを手持ち無沙汰なまま眺めていた勘兵衛だったのは、今日1日、完全なる休日という身であったから。外商関係の部署が軒並み、交渉のための会議やプレゼン、レセプションなどなど、1つも予定していないという珍しい日になったためで。無論、社内で動いている企画や計画がない訳ではなかったが、その場その場で最適な融通を利かさねばならぬという、究極の臨機応変が必要とされるよな、急を要するものは無しということで。溜めに溜めた有給休暇の消化を兼ねて、何でもない1日を骨休めにあてた、特別職専属秘書室 室長殿であり。現在の日本の政財界を支える 某一流商社にあって、彼なくしては主幹部の機能が回らぬとまで頼られているほどの、そんな仰々しい肩書をも“仮のもの”としてしまう、厳粛で途轍もない集中と緊迫の要るだろ、もう片やの務めの方での呼び出しも、当分は無しと来て。まったくの手放しで その精悍な身をゆったり延ばす、完全休養に浸っていていい1日を得たはよかったが、

 「……。」

 だからと言って手掛けたい趣味があるでなし、たったの1日では旅行もならずと来て。腹が膨れた獅子よろしく、リビングのソファーへ自堕落に座を占め、何をするということもなく、家事に勤しむ家人を眺めているというところ。もう一人の家人は、平日なのでと学校へ出掛けてったばかりであり。

 『そうですね。
  突発的な予定が降って来なければ、
  午後から皆で、久々にスーパー銭湯へでも行きましょか?』

 昨日一昨日と降りしきった、生暖かい雨も上がったことだしと、朝餉の給仕をしつつ七郎次が出した提案へ。金の綿毛を揺らしつつ、うんうんと素直に頷いていた久蔵だったので、

 “あれは…部活も勝手に早引けして、大急ぎで帰ってくるに違いない。”

 三年生の皆様が、大学受験の佳境に入る頃合いなのと、新入生を受け入れる高校としての入試の準備とで、先生方もなかなかに忙しい時期らしく。春休み中に“都道府県対抗級”の新人戦だのが控えていない限りは、課外授業である部活が 微妙に生徒任せになってしまうのは否めない。それをいいことに…というと、どれほど怠けたがりな人性かと聞こえぬでもないけれど。それしか関心がないんじゃないかというほど、剣の道を極めること自体に不満はないながらも。その他全部とのバランスの、相殺を担って余りあるほどに、母親代わりの七郎次が、好きで好きでしょうがない次男坊でもあったりするので。そんな行動を選ぶだろ彼なのは、火を見るよりも明らかというもの。

 “あのマザコンは、定着する前に何とか矯正させねばな。”

 こちら様は父親代わりにあたるのか、その割に…時々思い出したように、対等なレベルで火花を散らし合うこともなくはない勘兵衛としては。今も、その次男坊が出しっ放しにしてったものだろ、テレビや映画の情報誌らしき月刊雑誌をテーブルに見やり、その表紙に おっと眸を留め、そのまま手に取っていたりする。話題の映画の主役を務めたらしい妙齢の女性が、時代がかった大陸風の装束をまとって、清楚に微笑っておいでのアップが刷られてあったのだが。あいにくとエンターテイメント方面への知識は浅いため、見覚えはあっても名前までは出て来ない勘兵衛であり。ただ、

 「……成程な。」

 表紙の女性が出演したらしい作品の特集号なのだろに、買って来たばかりですと言わんばかりに角も縁もきれいなまま。広げてまではいず、中身はあまり読んではないのだろう不思議な形態を保っているのは、その表紙だけで十分な代物だからに他ならぬ。するりとした細おもての白いお顔は、重たげな金細工の鎖飾りが幾つも下がった冠をその頭へと載せており、古代の王朝の、身分のある貴人の役でもこなしたのだろうことを思わせる。それでなのか、いかにも玲瓏透徹な人性を窺わせるような、凛々しくも引き締まった緋色の口許といい、やや切れ長の涼しげな眼差しといい、知的で澄み渡った印象のある、澄ましたお顔をしておいでだが。

  束ねる格好で結い上げられたその黒髪の端が、
  ほんの少々 乱れているのは意図してのことだろか

 それが片側の目尻、頬の縁へかかっている様が、微妙に妖冶な香りを感じさせなくもなく。べちょりとした、これみよがしに張りついてくるような色香ではなく。ただ…隙というほどのものではないけれど、絵に描いた存在じゃあないのですと、突つけば笑い出しもしよう 他愛ないところも持ち合わせておりますよと。どうでもなびかせようはありますよと、そんなところを ちらりと覗かせているかのようで。

 “そうと思えば、
  お高くとまっておらぬは、人懐っこい性格を映してもおるようだの。”

 誇り高き美姫ではあるが、そんな見目は二の次。人生の大半を果敢な戦さに投じ、やがては一族の指導者にもなったという伝説の女傑を扱った作品の、堂々の主役を担ったその女優さんは。凛々しい中にも瑞々しさを匂わせる すべらかな白い頬へ、うっすらとした微笑を含んでおいでで。そんな表情のおかげさま、きりりと冴えた面立ちなのが、絶妙にまろやかな印象となっており、これなら好感度も高かろう。それに、

  “…………よう似て。”

 のちに判ったのが、その女優さん、実はまだ高校生の男の子だということで。しかも、その作品を最後に、俳優業から足を洗い、芸能の世界からはふっつり姿を消したらしい。交通事故に遭っての大怪我負ったのが原因だとか、その事故を起こした建設関係車輛の責任者、何だか恐持てのする一家へ口封じをかねて攫われたからだとか、諸説紛々だったらしかったが。どんなに謎めき、ドラマチックであったとしても、倭の鬼神には微妙に縁のない案件。よって、あくまでも他所の世界のお人だと、きっちり割り切って眺めていた勘兵衛だったし。

 “………。”

 手に取ったグラビア誌の向こう側、庭先で物干しに集中している女房殿をちらりと見やり。久蔵がこれをついつい買い求めたのも、このしっとりまろやかな麗しのお顔に、七郎次の風貌と重なるところを多々見てしまい。それで ついつい惹かれて…なんだろなと。洞察を構えるまでもなくのあっさりと、納得と理解を寄せてしまいもした、証しの一族筆頭、宗主・勘兵衛様だったりしたのである。





      ◇◇◇



 駿河の実家での 七郎次との同居に至ったのは、突然突発な運びであったけれど。彼という存在の話は、ずっとずっと耳にしていた勘兵衛で。自分からは はとこのはとこほど離れた血縁ながら、それでも支家の筆頭を担う大叔父の一人。そこも頼もしい構成員によって成り立っていた“諏訪”の所帯を、若くして支えることとなったお人の妻子が、任務のためなら命さえ犠牲にするような、そんな大時代な家だとは知らなんだと、顔色変えて失踪してしまったそうで。乳飲み子抱えて どれほど闇雲に逃げたのか、その足取りはこちらの巨大精緻な情報網をもってしても杳として知れず。そんな中で諏訪様も亡くなってしまい、勘兵衛の両親だけを連絡の拠点とするほど規模を縮小されつつも、諏訪の人々が必死になって探して探して。ようやっと見つかったのが、居なくなってから十年近く経ってのちのこと。最初の2、3年は母子で暮らしていたらしかったが、いつ追っ手が現れるかという疑心暗鬼からか、母親が病みがちとなり。

 『この子は本当ならば 名のある家の跡継ぎなんだよ?』

 …という、彼女の口癖をどこまで信じていたものか。礼金せしめることだけを目的とした、母方の遠い親戚の家へと預けられていた七郎次は、大昔の使用人でも、もっとましな扱いをされたろうほどの、それはひどい環境下に置かれていて。髪も無残に摘まれての、服の下はアザだらけ、がりがりに痩せた手足は赤ギレだらけという、悲惨な様相だったのを、当時の宗主、勘兵衛の父が直々に迎えにゆき。それなりの報復を弁護士に任せてからの捨て台詞、

 『二度と金輪際、我らに逢うこともなかろうよ』と

 温厚で知られた彼が、吐き捨てるように言って引き取って来たという。分別もあり、どんな状況へも相当に我慢強い大人が、なのに見ただけで 臓腑が煮え繰り返ったほどの状態にあった和子は。新たに家族となった、優しく懐ろ深い両親からいたわられることで、人見知りの激しいところや、こんな子供なのに既に及び腰な気性を植え付けられていたところ、そろりそろりと時間をかけて、忘れてしまいなさいと宥められ。大人の顔色を窺わなくてもいいのですよと、ぎゅうと抱きしめられて過ごすうち。その身から傷が消えてゆくのと競うよに、本来の素直なところが伸び伸びと芽生えて育まれ。お屋敷で過ごした最初の1年で、ほぼすっかりと…どこにも遜色の無い、愛らしい和子へと立ち戻れていて。

  そうしてそして…

 既に独立していた勘兵衛にしてみれば。実家へ戻ってお顔を合わせるそのたびに、どんどんと瑞々しい愛らしさを増してゆく“義弟”が、いつからだろうか、たいそう目映い存在となっていった。

 『お帰りなさい、勘兵衛様。』

 十にも満たない幼子だったころは、気安く抱き上げもしたし、遠慮なんか要らないのだからと、いくらでも甘えなさいと構えていたものが。その年齢がやっとの二桁へ至った頃合いからは、伸びやかな肢体から、まろやかな笑顔から、視線を剥がすのが骨なほど、魅惑と蠱惑をたたえた存在となっており。これはまずいと距離を置いたら、自分がいてはお戻りになれないのだと見当違いに気遣われ、向こうからも意識されていること思い知る、ますますの逆効果を招いてしまい。

  そしてそれから

 最もやり直しの利かない誤解を抱えて、二人の関係が始まってしまったのであり。

 “選りにも選って、主従関係という下敷きつきはなかったなぁ。”

 それの功罪をとやかく言うのじゃあないが、自分には決して同性をしか愛せぬような嗜好があった訳じゃあない。異性とのそれなりの恋もしたし、年相応の蓄積もあったし。自身の嗜好が女性へ向かぬそれだったのじゃあなくて、

  ただただ、この子が欲しかっただけだのに

 健気で一途で、思いやりもあって。秀でた気性や人性をしておりながら、どこかで及び腰なところがなかなか消えず。そんなところへ こっちが焦
(じ)りついてしまい、

 わたしがいるから安堵せよと

 支えているつもりが…いつの間にか、他へと眸を向ける彼だったりするのが納まらなくなっており。あれあれ? それはおかしいと、気づいたときにはもう遅く。この、得難い存在を独り占めしたくてしょうがない、そんな自分の強欲な性を、苦々しい潜熱を、どうやっても押さえ切れぬ身となっており。

 どこまでもすべらかな肌が愛おしく、
 喰らいつくしたいと深く深く思いはしたが、
 ただそれへと触れたかっただけなんじゃあない。
 質のいい鍛えようをした筋骨の、
 しなやかな充実やその温みだけが欲しかったんじゃない。

  この青年そのものが欲しくて欲しくてたまらず。
  誰にもやらぬため、囲い込みたいだけだと
  祈るように望んでいただけであったのだけれど。

 その一方で、そんなの言い訳、綺麗ごとだと、劣情とはよく言ったものよと、妄執に憑かれた自分を自身で嘲笑してもいた。

 そして……あの晩に

 何にも替えられぬだろう、厚い信頼を得ているだけでは納まらなくなり。形こそ無いけれど、それだけに希少で崇高なものを得ておりながら。それをわざわざ自分で汚すような真似に他ならぬと、頭では、理性では、重々判っていながらも。年端の行かぬ青二才のように、突発的な激情に駆られ、気がつけば、その肢体を力まかせに捕まえており。せめて、どこへも行くなとすがるよに、誠意を込めて掻き口説けば 多少は違ったものだろか。いや むしろ。この躯の下で身じろぐ熱と存在へ、少しも嗜虐的な想いがなかったと言い切れたのか。

 『勘兵衛様…?』

 七郎次の側にしてみれば、高校生という多感な年頃になったばかり、性的なものへもこれから触れてゆくのだろうというとその突端で。そちらはすっかりと大人だった勘兵衛との関係を持ってしまい。しかも、

 『……ん、あ…ぅ…。////////』

 雄々しき肢体に組み敷かれ、いいように翻弄されて。羞恥にじりじりと炙られた末、男の肩へと縋りついては、高まった熱を奪われる夜を幾夜も幾夜も過ごすうち。それでなくてはいられぬ、主が相手でなければ絶頂というもの得られぬような身へと、無理から馴らされてしまったようなもの。多少は慕ってくれていたもの、だのに いきなり閨にてねじ伏せられて。彼はどんな想いがしただろか。凌辱まがいの暴行を受け、さぞかし戸惑い、傷つきもしたろうに。これでは彼を苛んだ、あの心ない家族らと変わらぬではないかと。

 理解していた頭がどんなにか心を自戒で締めつけても、
 心が欲する想いは別物ということか。
 そして…そんな風に感情に任せるばかりでいた、
 言葉を惜しんでいた、それもまた罰だろか。

 言葉を選ばぬ年寄り連中からの“稚児扱い”という誹謗に耐えながら。だのに、それと並行し、勘兵衛からの固執を、主従という繋がりあってのそれだと。思慕なぞ絡まぬ冷徹なもののように、執拗に思い込み続けていた彼でもあって。彼からの信頼は、あの晩を境に…どんな指図へも従うという盲従へと塗り替わり、勘兵衛を、勘兵衛ではなく島田の総帥としてしか見なくなった。慕ってくれているのは判るが、その温度が明らかに異なっており。草の者らや他の従者らと同様の誓い、何となれば、自身の身を投げ出してでも護るという種の信念を、その胸へ植えつけてしまった彼だと知った。自分の身の価値を落とし、一歩ひいてのひざまずき、勘兵衛を誰もいない孤高へ追いやる格好になるとも気づかずに、恭順を捧げてくれることとなった七郎次であり。

 『虐げられていた、だなんて。
  そんな見当違いを思っていた筈がないではありませぬか。』

 そこだけは考え過ぎだと。怒り方や誇りの守り方くらいは、これでも教わっておりましたと、後日にかぶりを振ってくれて。それどころか、彼の側では側で、わたしでなければ相手はせぬとの、身にあまる情を頂いていたものと思っておりましたと。

 『……あのな。』
 『はい?』

 さんざ乱れたのちの閨の中。御主の頼もしい懐ろに掻い込まれた身で、そんな罪な言いようを。小首を傾げ、けろりと放ってくれたところなぞ。存外 彼の方こそ、よほどのこと頼もしい心持ちをしている身なのかも知れず。

 「……勘兵衛様、
  その女性
(にょしょう)がそんなにお好みですか?」
 「お…。」

 ぼんやりと物思いに沈んでいたためか、とうに家の中へと引っ込んでいた七郎次の気配にも、気づけないままでいたらしい。ずんと至近から不意な声がし、

 「なに、久蔵が見とれておったほどの美姫だからの。」
 「さようでございますか。」

 お下手な誤魔化しようでごさいますなと。勘兵衛が座していたソファーの背もたれ越し、文字通りの“背後”を取ってた七郎次が、青玻璃の双眸たわませてのくすすと笑い。背もたれの上へ腕を載せ、こちらの手元を覗き込むと、

 ですが勘兵衛様、その美姫、実は男の子なのですよ?
 なに?
 河西なにがしとかいう、高校生の男の子です。

 久蔵殿はそれと知っていて、それでもその雑誌を買われたそうなのですよ、と。ちょっぴり困ったように眉を下げて微笑った七郎次であり。……って、そっちのお話は また別の機会にて。







   〜どさくさ・どっとはらい〜  10.02.27.


  *いきなり妙なお話を書いてしまってすいません。
   中世韓国あたりのだろか、
   きらびやかな装束をまとった凄んげぇ美人さんが、
   『DVD買ってネvv』と言わんばかりの嫣然と、
   表紙で微笑んでおいでな雑誌を見たもんで、つい。
(笑)

  *勘兵衛様としては、
   やっとのこと気持ちが通じ合った恋女房なのへと、
   いまだに じんわり感激しておいでの模様です。
   ややこしい蟠(わだかま)りがあったのがほどけてから、
   もうどのくらいになるのやら だってのに、
   いまだに勘兵衛様には、感慨もひとしおなままらしい。

   …同じことばっか言うようになったら、
   立派なお年寄りですよ?御主様。
(こらこら)

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